先の週末は友人の結婚式で福岡へ。
翌日は飛行機の出発まで時間があったので、長浜ラーメンをハシゴしつつ、
太宰府の岩屋城跡を初めて探訪。
Google Map では高橋紹運の墓しか出てこないので、詳しい場所は手探りでした。
↓山中で頼りにした心許ない案内標示。晴れてないと見落とすかも。
さらに登ると岩屋城跡に到着。急いで歩いたので遺構は確認出来ず。
岩屋城跡から一望できる太宰府市街。さらに南の鳥栖市では
九州高速道路のジャンクションがあり、昔も今も交通の要衝となってます。
太宰府天満宮の北へ目を向けると高橋紹運の次男・高橋統増が守った宝満山。
岩屋城よりずっと高いので、宝満山城からは落城の光景が見えたかも。
【参考】岩屋城周辺の地図
歩きだと西鉄五条駅あるいは西鉄二日市駅から大宰府跡へ行き、四王寺山を目指すのが良いかも。
西鉄二日市駅近くにある独特な味とネーミングの「ころしのカレー」もお薦め。
昔は福岡と佐賀の境にある三瀬にありましたが、10年ほど前に移転されたそうです。
戦国時代ニュース
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■戦国時代の料理を再現!「信長おもてなし御膳プラン」を予約開始 ...[SankeiBiz]
本膳は1574(天正2)年、岐阜城で堺の豪商・茶人、津田宗及をもてなしたキジの塩焼きなど。
二膳、三膳、与膳は、安土城で徳川家康をもてなした料理。蒸しアワビ、干しナマコを戻して
みそでたいたものや、長良川で捕れた天然鮎の塩焼き、鳥の肝のみそ焼きなどが並ぶ。
文献に載る130種から選び出した。
【関連リンク】 >>戦国時代の料理を再現!信長おもてなし御膳プラン ...[旅館 すぎ山]
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■力いっぱい「こども綱」 呼子の大綱引き ...[西日本新聞]
420年ほど前、朝鮮出兵に向けて名護屋城を構えた豊臣秀吉が兵の士気を鼓舞しようと、■大村の郡三踊(寿古踊・沖田踊・黒丸踊)そろい踏み ...[長崎新聞]
加藤清正と福島正則の陣営を東西に分け、軍船のともづなを引かせたのが始まりとされる。
町内を「浜組」「岡組」に分けた3回勝負で、浜組が勝てば豊漁、岡組が勝てば豊作と伝えられる。
郡三踊は戦国時代、戦に敗れた大村領主・純伊が流浪の末に帰還したのを領民が祝い、■「歯の神様」に健康を祈願 抜いた歯2万本を松原神社で供養、鹿児島 ...[西日本新聞]
踊ったのが始まりとされ、中世芸能の形態が色濃く残る。
境内には、16世紀に薩摩国を統一した島津家第15代当主の貴久に仕えた平田純貞の墓がある。
純貞は島津貴久の死後、あごの骨が砕けるほど歯を食いしばって殉死したという逸話から
「歯のかんさあ(神様)」として祭られるようになったという。